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Wednesday, May 23, 2012

Volunteer...........K2




1998年 私はヒンズー教の島 当時”最後の楽園”とまで言われていたバリ島は東の方角に位置する
シガラジャで コンサートを行った。

シガラジャは バリ島では珍しくイスラム教。カトリック。また驚いた事は お釈迦様の涅槃像があり
仏教の信者もいる不思議な場所だった。

私の友人は イスラム教徒もヒンズー教徒もカトリック教徒もいましたが 
困る事は 食事だけで 後生活に困る事はありませんでした。

ここシガラジャで 孤児院の為にコンサートを行いたいと私はカトリックの友人に持ちかけました。
彼は 日本人がコンサートを開くという事は 非常に難しい事だと答え 相手にしてくれませんでした。

私は どうしても納得いかず シガラジャにある孤児院を全部慰問しその施設の理事長にあたる方々に
熱く私の思いを伝えました。

思いは伝わりましたが それからが大変でした。

許可を得るのに 日本国では考えられないんですが日本国で言えば知事にあたる人に直接会わなければ
なりませんでした。

私みたいな一般のボランティアを行う人間になんか 構ってくれる国ではない事くらいは理解していましたが~

しかし 私の強い思いは通じました。

勿論 知事とも会えました。これが 私の最初のインドネシア政府との仕事でした。

そして コンサート当日3000人の人が 集まってくれたのです。
入場料 1000RP 当時 日本円で50円。

私は 集まったお金は全てシガラジャの孤児院へ自らの手で渡しました。

この時日本国から わざわざ手伝いに来てくれた私の友人達へ改めて心から感謝致します。
本当に助かりました。皆様に良き思い出として残っていれば最高に私は幸せです。


私は バリ島の孤児院は 50カ所以上は回り子供達をハグし続けました。
勿論 プレゼントも一緒に~<鉛筆 ノート 服 靴 おもちゃ etc>
支援金は 孤児院慰問の際 現地で卵 カップラーメン お米 小麦粉等を買ったりし
また 孤児院増築の為に寄付したりしていました。

そして バリ島最後の夜~友人達が私の為にパーティーを開いてくれました。

その時 サンタナのこの曲を友人のバンドの人達がプレゼントしてくれた事は
忘れる事は出来ません。皆 涙で~私はヒンズーの挨拶でさようならしました。

それから 私はヒンズーの国バリ島を後にしイスラム圏内へと移動する事になりますが
その後のお話しは またの機会にでも書き記したいと思います。



http://www.facebook.com/K2MargaretClubJapan



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